2011年2月27日

早期バイリンガルであることの強みと苦労とは

: 早期バイリンガルであることの強みと苦労とは? 二つの言語間の関係は影響するのか?
What are the advantages and disadvantages of early bilingualism? Does the relationship between the two language matter?
http://www.quora.com/What-are-the-advantages-and-disadvantages-of-early-bilingualism-Does-the-relationship-between-the-two-language-matter

Quoraに書いてあったので答えてみた.日本語でも書いてみる.

私にとっては,日本語と英語って言語的に一緒のところはほとんどない.だから9~10歳のころにバイリンガルになったってことは人格形成におそらく間違いなく影響していると思う.もう30年以上そんな人生を続けているから,まるで言葉ごとに2つの別の人格に分かれているような気がするし,あるいは二つの言語の社会ごとに自分の立ち振舞いを変えなきゃいけないように感じている.

未だに私は両方の言葉の違いが原因でたくさん文法間違いをおかしている.たとえば,英語の文法要素で,単数/複数,動詞の活用,時制,冠詞,そして前置詞というのは,日本語にはほぼ存在しない.だから文章を何度も校正するときは,すごく集中する必要がある.自分の間違いの直し方は知っているけど,正しく話したり書いたりしようとするのをよく忘れてしまう.

その一方で,日本語では明示的に文の主語を著さない.日本語の動詞や形容詞はそれらが表す行動をしている人を通常は暗に含んでいるからだ.だから英語から日本語に文字通りに訳すのは文章を冗長にするし,余計なことばかり書いてあって,しばしば一般の人にはとても理解しがたいものにしてしまう.

個人的には文化的な違いも重要な役割を果たしていると思う.日本語を話すときは,失礼でないように,攻撃的でなく,決めつけないようにしなければいけないし,他人の意見に直接反論してはいけない.日本の人達,そしてアジアの韓国や中国の人達は,彼等の意見が直接会話で否定されることに対してはすぐに立腹する.なぜなら彼等の多くはその意見の否定を個人的な侮辱だと受け取るからだ.だからそのことを私は注意するようにしている.

もっともその一方で,日本人の礼儀正しさ,あるいは同意できないときにもそれを直接表現しないことは私には非常に不誠実な態度に見える.たとえそのことが一般的には私を感情的に傷つけることを避けて顔を立てるための行為だとわかってはいても.

これも最近気がついたことだけど,話す主題や話題によって,言語の選択は強く影響を受けると思う.コンピュータのことを私が語る時は,英語の方がずっと楽に感じることがしばしばある.単語の多くは英語で学んでいるし,最近台頭してきた技術については特にそうだ.その一方で,電子回路や,無線技術,物理,電気通信などの話をするときは,日本語で最初に勉強したことが理由で,日本語が最初に浮かんでくることが多い.バイリンガルあるいは多言語で技術的な話題について述べるための能力を維持するには,話したり書いたりするそれぞれの言語で大量の語彙を維持する必要がある.

そんなことを考えつつ,私は10歳の時に日本に帰ってきてから30年以上の間ひとりぼっちでここまで述べてきたような困難と戦ってきた.もし早くからバイリンガリズムの専門家に相談することができていたら,こんなに長い時間をかけてこの問題に向かいあわなければならなくなることもなかったと思う.(私の両親はバイリンガルではなく,もちろんこの問題について彼等に落ち度はない.)

この話題も,私にとっては言語の「並行処理」の問題であり,いまだに解決できない「混沌」とした自分の意識世界の話である.そういう意味では「並行と混沌」の話なのだ.

2011年2月8日

はやぶさのカプセル

JAXAの小惑星探査機「はやぶさ」が地球に落としたカプセルの一部を見る機会に恵まれた.さすがに展示会場は大変混雑しており,1~2分しか見ることはできなかったが,それでも本当に宇宙から戻ってきたカプセルを見るのはそれだけで感慨深いものがあった.最も印象的だったのは背面ヒートシールドであった.また,パラシュートが往復の長い行程に耐え,機能した状態で戻ってきたのも驚きだった.

「はやぶさ」を動かしていたソフトウェアはどのようなものだったのか.そしてそれを支えた技術はどのように機能したのか.きっと広義のフォールトトレランスを実現していたのだろう.過酷な条件に耐えるためのソフトウェアには,停止は許されないからだ.異常発生時には確実に全体を再起動させるコードも組み込まれていたに違いない.

打たれ強いソフトウェア・システムを作るにはどうすればよいのか.そんなことを背面ヒートシールドを見ながら考えている.

2011年2月4日

Erlang/OTPの抱える基本的な課題

Erlang(日本語では「アーラン」よりも「えあらんぐ」の方が発音により忠実らしい)/OTPのブログを一応標榜している(苦笑)ので、今後のErlang/OTPの課題などまとめてみる。

まず技術的には
  • 暗号に関わる技術(ハッシュ関数、共通鍵暗号、公開鍵暗号、疑似乱数)を、どう並行実行可能にしていくつもりなのか
  • 数日、数週間、数ヶ月単位の大規模遅延に耐えるネットワーク技術 (delay tolerance)
  • IPv6の基本的サポート、特にDistributed Erlang / epmd、そしてそのSSL化サポートの確認
  • DNSSEC対応のリゾルバ for inet_res module
  • BEAMの実装に起因するバイナリヒープの扱い、ならびにそれを意識して高速にNIFを書くための技法(実測が必要)
  • 状態保持量の少ない疑似乱数: Wichmann 1982 / Wichmann 2006 / LShift / XOR32
  • 状態保持量の多い疑似乱数: SFMT ((2^19937-1) or (2^607-1))
  • NIFによるTAI(国際原子時)の扱い
  • BEAM間の権限分離手法(FreeBSD Jail? それとも一般的な仮想化?)
  • そもそもPort, Linked-In Driver, NIFの使い分けをどうする?
なんて話があるわけです。

いろいろといじってみたいプロジェクトもいっぱいあるのですが、一部だけ。

そして当然今年は
という大イベントが控えております。

課題が山積しまくりで大変であります。

2011年2月3日

希望と現実

かつて,インターネットは,希望だった.国境を越え,封鎖的社会を開放し,閉じた世界のドアをこじ開けてその中身を明らかにするものだった.私のようなマイノリティにとっては,世界の中の自分の位置を変える,ほぼ唯一の希望だった.1985年に日本で通信回線が開放され,コンピュータがつながり始めた時,これを進めていけば世界を変えられると信じて,仕事にした.

そして,インターネットは,現実になった.水道や電気,ガス同様,もはや生活には不可欠のものになった.夢は現実になった.もはや夢ではなくなった.

今,インターネットは,既存の支配勢力に対し,明らかに脅威となっている.2011年1月27日にエジプトで起きたネットワーク経路の大規模な遮断は,ある意味で象徴的といえる.何らかの形でネットワークを検閲している集団の数はもはや数えきれないだろう.それは自由に対する挑戦であると同時に,過去25年に得たインターネットの力の証明でもある.検閲を続けても流れを止めることはできない.すでにインターネットは,政府対テロリスト,という図式そのものを引っくり返しつつあるのだから.仮に政府がインターネット接続を止めた場合,その政府の正統性が疑われる状況が生まれてしまうといっても過言ではない.

もちろん,インターネットが今のままでいられるとは全く思っていない.IPv4アドレスはもうなくなる.我々は新しい人達をIPv6に迎え入れ,引き続き開かれた広域ネットワークを,今度は1つではなくIPv4とIPv6の2つ,運用することを日常にできるだろうか.そもそもドメイン名に人間が署名をし続けることができるのか.爆発しつづける経路数を処理できるルータは作れるのか.その裏でせめぎあう権力をまとめることはできるのだろうか.課題は山積するばかりだ.

それでも私は,2008年から,新しい希望と現実を見据える作業にかかっている.日々の運用業務という現実に取り組みつつ,より高度な抽象と捨象で日々の問題を解決できるだろうという希望を持って.Erlang/OTPは,その抽象と捨象の手段の1つに他ならない.

2011年2月1日

時間と疲労と並行処理

時間に追われるのは現代人の宿命だろう.特に通勤時間を自分の意に反して消費させられなければならないのは大変つらい.テレワークでは通勤時間は減るが,これとて他の業務時間を減らすわけではないから,魔法の薬にはならない.(そもそもsilver bulletなんて存在しない,というのはおいておくとしても.)

すでに日々大量のタスクを並行(concurrent)に実行しているのが我々の生活だとしたら,それを大規模並行(massively concurrent)な世界に持っていくしかないのではないか.そのための技法を確立した者がより有利になる時代が来ていると思う.

それで余った時間は何をするか? 疲労回復に充てるのが最も効率的だろう.なにしろ皆くたびれ果てているのだから.