2015年12月30日

2015年を振り返って

気がつけばもう年末になろうとしている。

2015年は昨年から始めた情報セキュリティ関連の翻訳に加え、Webのフロントエンド技術、インターネットへのハードウェア接続技術 (Internet of Things)など、昨年からさらに幅を広げて活動している。詳細は守秘義務があるので控えるが、今後とも仕事として自分でできることは何でもやっていく覚悟で活動している。以下に対外活動の中で主なものを記す。

  • 1月よりErlang/OTPのrandomモジュールを後継する疑似乱数モジュールの開発が始まり、3月にはサンフランシスコのErlang Factoryにて、疑似乱数の高性能化に関する発表を行った。この成果は5月にErlang/OTPバージョン18から取り込まれることとなり、京都大学に勤務していた時から5年越しで続けてきた研究開発の成果を世に送り出すことができた。
  • 技術評論社の雑誌Software DesignにErlang/OTPに関する連載を同誌2015年4月号から12回の予定で続けている。2015年8月号にはElixirの記事も執筆した。
  • 4月に情報処理技術者試験の情報セキュリティスペシャリスト試験を受験。薄氷を踏む思いだったが、6月に無事合格通知をいただく。
  • 昨年12月からのIngressでの活動は、5月上旬にSojournerメダルをもってA11を達成した時点で終了。ならびに関西地区(PA01-ALPHA-00)各地で普段歩かないところを歩いたのはよい人生の経験になった。ただスマホの画面を1台破損したり、自分自身が顔面から倒れて負傷したりと、どんなゲームにもリスクはつきものであることも痛感した。
  • 6月には大阪大学基礎工学部にて5年ぶりに講義を行った。今回のテーマはsustainability、つまり情報環境の持続可能性に関して、さまざまな視点から問題を提起した。講義の内容はGitHubのレポジトリで公開している。
  • 7月から8月にかけて、ARM Cortex-M3ベースのSTM32F103の学習を兼ね、新部裕さんのNeuGの製作実験と追試を行う。この結果STM32 Nucleo Dongle部でのNeuGの実装に成功。FreeBSD用の物理乱数注入ドライバOS X用の物理乱数取得ツールも開発し、後述のavrhwrngにも応用できる物理乱数の運用環境を整えた。すでにNeuGやavrhwrngは運用レベルでの実験を行っている。
  • 2013年から続いていた東京の実家の取り壊しと改築が8月末に終了。これに伴い9月より東京の拠点を開設。12月には大阪の家とIPsec VPNおよびIPv4/IPv6のグローバル/プライベート接続を行い、ネットワークの実験環境としても利用可能になった。今後はこれまで以上に東京での活動を増やしていくことになるだろう。
  • 11月には情報処理学会第8回インターネットと運用技術シンポジウム(IOTS2015)にて、情報セキュリティを確保する上に不可欠である物理乱数を生成するArduinoのための廉価な(秋葉原の電気街で2千円以下で調達できる)ハードウェアavrhwrngに関する発表を行った。この成果はGitHubのレポジトリにて公開している。この開発に伴い11月にはデジタルオシロスコープを導入した。
  • 12月にはQiitaにてC言語FreeBSDのアドベントカレンダーを開設し、自らもErlangElixirなどのカレンダーを含め22件の日本語の記事を投稿した。
  • 昨年12月から運用しているFlightRadar24.comの受信局は、NTT西日本やASAHI-NETの障害による事故はあったものの、順調に動いている。今年はさらに近隣の受信局と協力してMLATによる位置推定も行われている。KIX/ITM/UKBあるいは関西/伊丹/神戸各空港の混雑した大阪湾近郊の空域の状況通知には十分寄与できているようだ。

一方、昨年同様、多くのものを捨てなければならなかったのもまた事実である。これもいくつか列挙していこう。

  • アマチュア無線の活動のうち、従来の短波交信に関するものは、記録の整理を除いては新規には行っていない。今年は全く新規交信のない1年となることがほぼ確実である。
  • 物理メディアからの脱却を図っている。CDとDVD以外の音楽メディアや過去の活動に関する書類は必要最低限に限り封印して保管することとし、技術系の紙の図書は大部分を売却した。今後も情報のmedia consolidationは続けていくことになるだろう。
  • 自分の技術系情報の公開場所はGitHubと日本語ではQiitaに集約しつつある。技術情報の配布については、このblogが使われることはもうなくなるだろう。記録としては残していくし、今後状況が変わったらまたこの場所を使うことは大いにあり得るが。
  • Twitterでの議論は昨今の社会状況を鑑みる限り(ごく専門的な技術的事項を除いて)事実上不可能になったと判断し、SNSの付き合いの大半はFacebookに移した。Facebookは知人あるいは業務上連絡を取る必要がある場合のみの運用としている。
  • 生活は引き続き厳しい。事業開始2年目であり当然ともいえるが、引き続き業務に直接つながらない出費については緊縮財政に努めている。

2016年のことはもう想像もつかない。昨日を終えて今日を生きていられることは必然ではなく奇跡なのだと思って、日々の生活と業務に精励するしかないだろうという覚悟で2016年も活動していく所存である。