先日ギターを手放した.すでに改造を加えていて,しかも何年も弦を張り替えていないものだ.ここ数年まともに弾いたのは,クリスマスの時だけである.リサイクル屋でギターを個別に引き取ってくれるところがあったので,送った.ピックや弦を巻く装置,専用の弦カッターなども全部手放した.
実は手放したギターはこれで3台目になる.1台目の1978年に買ったYAMAHAのフォークギターは,21世紀になる前に廃棄処分にした.2台目の1980年に買ったレスポール型の日本製(ARIA PRO II)のギターは,大阪に1992年に移り住む前に,今ならとんでもない高値が付くであろうBOSSのOD-1と一緒に知人に譲った.
今回手放したのは2001年に買ったフェルナンデスのZO-3である.内蔵のアンプは外して,1石FETのプリアンプを組み込んだ.当時は高輝度LEDが世の中に出回り始めたころで,象の目にあたるところは緑色に輝くようにしてある.
手放した理由は簡単だ.ろくに練習もしていないし,もはや左手でビリ付きなく弦が押さえられなくなっているからだ.こんな状態では,まともに他人に聞かせられるような演奏はできない.
1982〜1983年の高校生のころは受験そっちのけでキーボードもギターもヘタながらに自己流で一生懸命弾いていたけれど,そのころの演奏能力が実は自分にとってはピークだったのだと,最近思い知らされている.最後に多重録音をやったのは2007年だが,その時はリズムも運指もガタガタのフレーズを全部ループにして編集しているので,まともに演奏していたとはとてもいえない.
音楽は身体性そのものが問われる芸術である.演奏は特にそうだ.よほど普段から練習していなければ,まともなものはできない.そして音楽に限らず,あらゆる創作行為は,すべて真剣勝負で身体に覚え込まさなければ一流にはなれないのが非情な現実だ.
プログラミングの現場に戻って,自分が如何にナマケテいたかを思い知らされている.自分が楽器を止めても誰も困らないだろうが,コーディングでいいかげんなことをしたら,タダでは済まされない.
そんなこともあって,ギターを手放した.まだシンセやドラムマシンは残っているが,これらに触れる時間は,当分来ないだろう.