以下は、昨年2016年の9月24日に書いた文章である。この月はスウェーデンのストックホルムに行き、月の後半には奈良で ACM Erlang Workshop 2016に参加したりしていた。ストックホルムの紀行文はいずれ書きたいと思うが、まずはこの雑文を記しておく。
今月(注: 2016年9月)はとても忙しい月である。妻の白内障手術のフォローとか、東京拠点のメンテナンスとか、仕事の作業とか。しかもまだやるべきことが終わっていない。だから月末まで走り続けなければいけない。しかし、昨日JR奈良駅近くから近鉄奈良駅まで急いで7kgの荷物付きで歩いたりなど、奈良市内で5kmは歩いたので、右膝が死んだ。Erlang/Elixir界隈のスーパーな若者に「膝」を名乗る人がいるのだが、彼のことを思い出した。
今月は徹底的に人間的に「自分は何者か」を考えさせられた。基本的に日本語と英語の脳は別にできていて、別の人格が出てくるので(もちろん統合はしている)、両方をフル活動させないといけないときは、とても疲れる。具体的には、Erlangのことでストックホルムに行って発表した後、さる方の御自宅にて歓待していただいたときとか、昨日奈良に行ってErlang Workshopの後の宴会のアレンジで注文他の通訳者をやったとか(幸い日本通の米語母語話者が2名強力に説明してくれたので私は補助的役割で済んだのだけど)、そんな時はふだんの10倍ぐらい疲れる。
そして宴会が終わった後、「自分はいったい何だったんだろう、ひどい英語しゃべって、ひどい日本語しかできなくて、とんでもないよねえ」という徒労感にいつも襲われるのである。
帰国者として日本社会の構成員の大多数(特に出国経験のない人達)から非国民扱いされるのはもう慣れたし、そのことは普遍的であろう人権の理念に立てばまだ申し開きようもあるだろう。でも複数言語を同時に使うことによる苦痛、そしてさらにその先に自分自身であることを要求されることの苦難に耐え抜かなければならないことは、誰に申し立てようもなく、自分で背負うしかない。とても悲しい。年々酷くなっていく米語の滑舌と、悪くなっていく頭の反応速度。自分の理解が進んだせいで自分の欠点がわかるようになったということもあるが、加齢はきつい。いつ死んでもおかしくない。
そんな泣き言を言いつつも、仕事と生活は続く。終わらない。成果を出さねば。成果のための環境整備をせねば。そんな気分で最近はいつも寝ている。明日のことを考えなくて済む人達をうらやましく思いつつ。そんな人達はいないのかもしれないが。