2014年11月8日に関西オープンフォーラム2014にて開催された日本UNIXユーザ会(jus)研究会大阪大会にて,力武健次技術士事務所 所長 力武健次が「Erlang/OTPに見るオープンソースのダイナミズム」と称して発表致しました.(本動画はjusのYouTubeチャンネルにリンクしています.)発表スライドはspeakerdeck.comにて公開しております.
2014年11月10日
2014年10月26日
新規開業技術士支援研究会にて発表致しました
公益社団法人 日本技術士会登録 新規開業技術士支援研究会 の2014年10月4日の会合にて,力武健次技術士事務所 所長 力武健次が「インターネット屋は独立開業できるか?」と称して発表致しました.発表スライドはspeakerdeck.comにて公開しております.
2014年6月20日
祝「すごいErlangゆかいに学ぼう!」刊行
(Signature: by Fréd Hébert at Erlang Factory SF Bay Area 2014) (Text by Fréd: "À Kenji, l'une des personnes que j'ai le plus hâte de revoir à chaque conference" - "To Kenji: one of the people I most look forward to seeing at each conference" - 「どのカンファレンスでも一番会いたいと思う人々の一人,Kenjiへ」)
このたび,Learn You Some Erlang for Great Good!の日本語版がオーム社より「すごいErlangゆかいに学ぼう!」(リンクは日本のアマゾン,アフィリエイトはありません)として刊行される.かなり大変なプロジェクトだったと思うが,著者のFréd(敬称略),翻訳者の山口さん,編集者の方々,レビュアーの方々に深く敬意を表したい(私も微力ながらレビュアーとして参加させていただいた).
この本はとにかく内容が盛りだくさんで,原著者の情熱が伝わってくる文体になっている.教科書らしくはないが,Erlangについて必要なことは一通り網羅してある恐ろしい本である.情熱を量と質で証明するのは容易なことではないが,この本ではそれができている.若くて元気な人達が本を書いたり訳したりすると,ここまで元気になるのかという良い例である.その意味で,Armstrong御大のProgramming Erlang(第2版)とは,まったく別のアプローチの本ということができるだろう.(こちらの翻訳もオーム社より「プログラミングErlang」(第1版の翻訳)として出ている(第2版の翻訳を期待したい).)
これを機に日本でもErlang/OTPに触れる人達がますます増えることを願う.
2014年6月5日
電子情報通信学会 第26回ICSS研究会でErlang/OTPとセキュアプログラミングについて発表しました
電子情報通信学会 第26回ICSS研究会(神戸大学にて2014年6月5〜6日両日開催)にて,"Shared Nothing Secure Programming in Erlang/OTP" と題してErlang/OTPとセキュアプログラミングの関係について発表しました.発表スライドはspeakerdeck.comにて公開しております.
詳細は研究会の開催プログラムをごらんください.
2014年5月21日
プログラミングを続けるには
プログラマといえるほどプログラミングをしていないし,できてもいない.その焦燥感が,プログラミングを止めていない最大の理由だろうか.
ともあれ,以下の記事に触発されたので,ちょっとだけ書いてみよう.
体力をつける
プログラミングは本当に精神力を使う.頭の中に非常に多くの事柄を記憶しておく必要があり,間断なく襲ってくる外部からの割り込みに耐えないといけない.記録と記憶の外部化については前述の記事群に述べられているので細かくは書かないが,実際に頭が良く回るようにするには,体力を使わないといけない.年齢が上になればなるほど,これは厳しくなってくる.だから,
- 普通に食べる
- 普通に身体を動かす
- 無駄に体力を使わない
- 良く寝る
というのは基本だと思う.
課題を常に持っておく
プログラミングも所詮は人間の行動の一部でしかない.毎日やるには,理由が必要だ.どんなことでもいいからやるべきことを持っておく.それが今日の生活の糧のためであってもよし,あるいは近未来の夢の実現のためでもよし.その課題を解決するために,プログラミングに取り組む.そういうことを実現できていれば,続くんじゃないだろうか.
他人の視線を感じるようにする
人間は本当に「ええかっこしい」な生き物だ.できなかったことの言い訳をすることが嫌な人にとっては,コミットの件数が目に見える形で出てくる,GitHubのContributionsリストなんかは最高の理由付けになるだろう.毎日1件でいいからコミットするか,新規issueを上げるだけで済むのは,簡単といえば簡単だが,これをpublic repositoryだけに絞ると,結構大変かもしれない.
それでも,コーディングができなくても,新規issueを上げる,あるいは課題を明確にして記録するのは,プログラミングの一部であると考えて良いだろうと思う.
生活の一部に組み込んでしまう
以前はGitHubはUS Pacific Timeで動いていたので,1日が切り替わる時刻(日本だと午後4時か午後5時)になると,プログラミングのことを考えるようになっていた.最近はローカルタイムで記録してくれるようになったので,寝る前,そして起きた後の誰にも邪魔されないであろう時間を,プログラミングにあてている.ちょっと時間を取るだけでyak shavingはできるし,そうでなくとも取り組むべき課題さえ整理できていればいろいろなことができるだろう.毎日やるというのは本当に大事だと思う.
どこでもできるようにしておく
MacBook Airを使うようになってから,ローカルにコーディング環境を持てるようになったので,どこでもある程度のプロトタイピングはできるようになった.別にOS Xでなくてもいいのだが,プロトタイピングの環境はすぐに使えるようにしておいたほうがいいだろう.それに,出先でちょっと時間が余りそうな時は,いつでも何かできるように,環境を持ち歩く習慣をつけることは大事だと思う.そのためには,環境整備を日頃から怠らないのが大事.
2014年4月28日
雇用保険受給を終えて
昨年2013年10月からの職安通いが,今日の再就職手当受給申請で,終わった.長い7ヶ月だった.
今時は労働局の出先機関である公共職業安定所のことは「ハローワーク」というらしいが,昔から「職安」(しょくあん)という略称があるので,それに従うことにする.居住地の最寄りの職安は大阪労働局の池田公共職業安定所であり,今回はこの職安に7ヶ月お世話になった.職員の方々は皆丁寧に応対してくださり,技術士事務所の開業に伴う諸手続の相談にも細かく答えていただいた.
職安に行った理由,そして失業認定の実情
一般に職安に行く理由は3つあって,(1)仕事探し,(2)雇用保険給付金受給資格の確認(通称「失業認定」),(3)雇用者としての各種手続き,というのが主なものだろう.人を雇う事業主ならば(3)が主な目的だろうが,私の場合は2013年9月末日の会社都合による離職の結果の失業,そしてそれに伴う雇用保険給付金の受給,つまり(2)が主たる理由だった.
今年で社会人になってから24年になるが,最初の仕事に就職した1990年4月から前職を離職した2013年9月までの23年6ヶ月の間,雇用保険については応分の負担をしていた.だから雇用保険給付金の受給にあたっては何の問題もなかった.
雇用保険給付金は非課税であるため,失業者にとっては貴重な収入源である.しかし,その財源は国庫金であり,当然のことながらその給付を受けるには厳しい審査がある.詳細は省略するが,基本的に雇用保険給付金の受給には通常4週間ごとに設定される「失業認定日」に「失業の状態にあることの確認」をする必要があり,そのために職安に出頭しなくてはならない.この間に再就職が決まったり,開業の準備を始めるなどの事実が発生すれば,その時点で受給資格を失う.また,働いたり無給の手伝いをした場合も,正確に申告しなければならない.これらを怠った場合は,不正受給とみなされ,受給資格の剥奪だけでなく,すでに受給した金額の3倍を返納しなければならず,刑事告訴の対象となることもある.
そして失業の状態であることを証明するには,会社都合の場合でも,4週間の間に最低2回「仕事探しの活動」を行う必要がある.(自己都合の場合はさらに条件が厳しくなるが詳細は省略する.)この活動には職安あるいは同等の機関(人材銀行,ハローワークプラザなど)に出向いて求人情報検索や職業相談を行うこと,職能に直接関係する国家試験の受験,求人への応募(面接)なども含まれる.私の場合も,失業認定期間中に求人に応募したり(詳細は守秘義務があるので控える),無線従事者国家試験の受験などいろいろな就職活動を行ったが,そう多く求人があるわけでもないので,かなりの時間を求人情報検索に費した.それでも残念ながら自分に合いそうな求人は見つからなかった.
まあ自分の年齢が当時48歳という高齢であったこと,そしてかなり特殊な職能という事情を考えれば,このような結果になったのは当然の帰結かもしれない.
求人検索の実情
求人情報といっても,北大阪の職安から検索できる求人のほとんどは,IT関連ならSEかプログラマで,どちらかといえば体力勝負の仕事がほとんどであったように思う.東京の求人も検索したりもしてみたが,北大阪ではまずJavaかC/C++の仕事しかなく,ごくたまにRubyの仕事が出てくるぐらいであった.インフラエンジニア系の仕事もないことはなかったが,決して多いとはいえなかったように思う.残念ながらPythonやErlang,FreeBSDというキーワードにお目にかかることはなかった.それでも北大阪は梅田や大阪市北部という比較的IT産業の集積している地域を含むため,全国的にみればまだマシな状況なのかもしれない.
まあ雇用主としては,あまりメンドクサイことを言わずに黙って働いてくれる労働者が欲しいのだろうと思う.職安に委託されるような求人の案件は,そういう意味ではごく平均的な日本のIT産業の縮図なのかもしれない.
職安で見る風景
離職後職安に最初に出頭すると,初回講習を受けることになる.この講習では,雇用保険給付金の受給に必要な各種条件と手続の概要,そして不正受給に関する罰則の詳細についての説明を受ける.この時私が驚いたのは,幼い子供を連れた女性の多さであった.職安には託児所がないため,講習を行う職員の方はかなり苦労されていたように思う.もっとも,本当に苦労していたのは,子供をあやしながら講習を受けなければならなかった女性達の方だろう.後で知人にこの話をしたら,母子家庭で生活のやりくりが大変なのだろうということだった.
ただ,雇用保険給付金受給のために職安に来ている人達には,極端な悲壮感は感じられない.さまざまな職業や年齢の人達が集まっているのは事実だが,皆普通の格好をして,普通の応対ができる人達ばかりである.言い換えれば,さらに厳しい状況にある人達は,雇用保険給付金の受給資格すら持っていないのであろうと推察せざるを得ない.そう思うと,慄然とせざるを得なかった.もっとも,そういう今の私も,自営業を開業しただけのことであって,雇用保険にかかる費用は納付しておらず,もう雇用保険給付金を受けることはできない.(再度雇用保険に加入している雇用主の下で就職して被雇用者になれば話は別だが.)
ともあれ,この7ヶ月間,自分の状況をいやがおうでも月に1度は認識させられたわけで,それだけでも実はかなり強力な「就職支援」制度になっているのではないかと思う.その意味で,自分は幸運だったのかもしれない.最近の日本でのブラック企業による雇用保険を含む社会保険に関する義務の不履行によって働いている社員も雇用保険の恩恵を受けられなくなる事態や,海外,特に米国での失業後の(何のセーフティネットもない)再就職までの悲惨な状況を考えると,あまり明るい気分にはなれないのが正直な所感ではある.
Update 3-JUN-2014: おかげさまで無事再就職手当の支給を受けることができた.今後も仕事に精進していく所存である.
2014年4月24日
力武健次技術士事務所 開業のご案内
このたび2014年4月21日に,日本技術士会に技術士登録変更届出書を提出し,「力武健次技術士事務所」を個人事業として営む旨届け出ました.これに伴い,2014年4月24日に,豊能税務署と大阪府豊能府税事務所に,個人事業の開業届他関連書類を提出しました.この開業届の提出をもって,法的に正式に個人事業主としてのスタートを切りました.
開業といっても,やることは今までの技術者と研究者としての活動の延長であることには変わりありません.昨年2013年10月より6ヶ月強の間各種求職活動を行って来ましたが,諸事情勘案の結果,自分ができること,やりたいことをする上で,被雇用者ではない形を取るのが最善の道であろうという判断をしました.その上で,まずは個人としてスタートしようということで,自分の持つ技術士(情報工学部門)のライセンスを活かした形で始めることにしました.
もっとも,世間を賑わせている米国西海岸のスタートアップとは違い,開業に伴う華々しい話は一切ありません.当面の目標としては,まずは借金なしの経営をしつつ,社会に対して微力ながら自分の能力を役立てればと考えています.これは大変難しいことですが,始めた以上は覚悟をもって挑む所存です.
業務内容は情報工学全般,特に過去経験してきた情報セキュリティ,ネットワーク,Erlang/OTP,FreeBSD,モバイルの無線技術関連を主としつつ,これらにこだわることなく何でもやるつもりです.何かお役に立てること,お困りのことがありましたら,遠慮なくご相談ください.連絡の方法については以下のURLを参考にしていただければ幸いです.
力武健次技術士事務所のページ URL:http://rikitake.jp/ (2014年12月にURLを更新)