2013年8月2日

電子情報通信学会の技術研究報告に関する電子的利用の方針についての要望

本日,以下の文書を,電子情報通信学会 サービス事業部 会員課に対し送付し,同会著作権管理委員会に取り付いでもらうよう要望しました.諸々の問題があることは承知していますが,オープンアクセスが学術学会でも当たり前になっている現状を鑑みる限り,何らかの方針を早急に決める必要があると思っています.


電子情報通信学会 著作権管理委員会の皆様

貴会における技術研究報告に関する電子的利用の方針について,以下の通り要望します.

  • 貴会の著作権規程の基本方針についての以下URLから引用できる文書では,電子的利用の方針について,「技術研究報告につきましては引き続き検討中」とあります.この文書は平成20年4月の理事会にて決定された内容が記されており,すでに5年以上の時間が経過しておりますが,以下の事項について,ご回答いただきたくお願い申し上げます.

    • その後の検討結果はどのようになったのか
    • 仮に検討結果が確定していない場合,いつまでに検討が終了し,結論が出る予定か
    • 5年以上経過しても検討結果が出ていないことについての経緯の説明
    • 参考URL: http://www.ieice.org/jpn/about/kitei/chosakukenkitei.html
  • 以下の参考URLに述べられている利用申請基準では,「技術研究報告については、論文全文の電子媒体での利用については検討中であり、利用は不可である」とあります.電子的な公開があらゆる学術学会の研究報告で一般的になりつつある現状を考えた場合,この文言はすでに時代錯誤であると言わざるを得ません.
    つきましては,一刻も早く,技術研究報告の電子媒体での利用についての規程を整備し,少なくとも著作者自身が自分の技術研究報告全文を論文誌の論文同様に公開できるように(利用申請基準の例外事例1に相当する条件で)体制を整えていただきたく要望します.

現状のままでは,電子情報通信学会の技術研究報告を書く意味が事実上否定されているに等しいということを,著作権管理委員会の皆様にはご理解いただく必要があるのではないでしょうか.

以上,Web上でもメールでも結構ですので,ご回答いただきたくお願い申し上げます.

平成25年(2013年)8月2日

力武 健次
電子情報通信学会 シニア会員

2013年8月6日追記: 本件について,電子情報通信学会 会員サービス部より,「要望受け承りました。関連委員会で検討して、ご回答いたします。少しお時間を必要としますので、ご了承ください。」という旨のメールの返信を得ました.

2014年4月6日追記: 本件に関し,電子情報通信学会の「本会出版物に掲載された論文等の著作物の利用申請基準」が2013年10月24日に改訂され,技術研究報告についても論文誌同様の判定基準によって,「非営利目的による利用かつ同学会の利益を不当に侵害しない範囲における利用」であれば,利用申請不要となったことを確認しました(関連規定のページ,「利用申請基準」のPDFを参照).関係者の方々のご努力に感謝すると共に,引き続き完全オープンアクセス化への努力を継続していただきたいと考えます.

2013年7月31日

2013年の暑くて厳しい夏

(Photo: Kenji Rikitake, 大阪モノレール柴原駅,2007年10月撮影)

今年2013年の夏は,非常に厳しくてシンドイ感覚が続いている.今年6月中旬に個人的な大事件があって,それ以来あまりまともに仕事ができていない状況が続いている.昨年2012年11月からの3ヶ月間にわたった病気休職と併せて考えると,かなり厳しい状況だと言わざるを得ない.近々自分の生き方そのものを大きく変えなければいけない転機に来ていることは間違いない.これは誰かに頼っていればどうにかなるものでもないことは重々承知している.ただ,こちらの予想しないタイミングでこんな転機が来るとは思っていなかったこともあり,いささか戸惑っているのも事実だ.

もっとも,本来生きていられるのは奇跡みたいなもので,未来永劫不変の自分があるわけでもない.昨年2012年の7月末の状況と比較してみると,今の自分の周囲は大きく変わっている.それまで当たり前だと思っていた多くのものは,別のものに置き換わっている.まさか日常生活がすべてMacベースになるとは,1年前は想像していなかった.実験用機器はFreeBSDのままだし,必要に応じてWindowsやUbuntuも実機で使えるよう整備してはいるが,GUIが変わっただけでこれだけ生活が変わるとは正直言って予測も想像もつかなかった.

コンピュータの前に向かう時間は,1年前よりもはるかに長くなった.そして体のことを考えて立ち机で仕事をするようにもなった.腰のこと,脚のことを考えたら,これは必然だったかもしれない.このへんのことは,The Setupにインスパイアされた英文の記事にまとめている.

今後のことについてはいずれまた書く機会もあるだろうと思う.ここ数週間の折々の気分については,Mediumに書くことが増えた.Twitterの延長みたいな感じで使えているからかもしれない.

しばらくは時間との戦いを,瀬戸際戦略的に続けていくことになりそうだ.

2013年6月9日

ついていけない話題

2012年3月に自分が「ついていけない話題」についてリストを作っておいた.このリストをもとにMedium.comでの最初の記事を書いたので,ついでにこちらに原文を残しておく.ホンネの一部は,medium.comの記事の方で書いているので,そちらを見て欲しい.


  • (特に日本酒とワイン)

  • (乗りません)
  • バイク
    (これも乗りません)
  • 自転車
    (これも乗りません,乗れますが)
  • プロ野球
    (巨人V9時代以降あまり興味ありません)
  • プロサッカー
    (ワールドカップはおもしろいけど)
  • テニスほか球技
    (できません,カジュアルな卓球は別)
  • スキー
    (昔やったことはありますが「私を…に連れてって」以来印象がいまいちです)
  • ハードロック
    (曲は好きだけど)
  • 食べ歩きのグルメ
    (興味が失せつつあります)
  • 写真
    (情報伝達の基礎教養程度は身についていると思いますが,高度なテクとか機材のウンチクはつらいかも)
  • ゲーム
    (ファミコンを含み一切のゲームコンソールを所持していません)
    (思考ゲームは面白いと思うけど)
  • ピアノ
    (弾けません,オルガンとシンセは弾いてましたが)
  • バンド
    (組んで成功したことがありません)
  • ファッション
    (聞かないでください)
  • ホイチョイプロダクション的な世界
    (バブルとは縁がないので)
  • 戸建の家
    (住んだことがありません)
  • 子育て
    (結婚する時点でトライするのを止めました)
  • 温泉旅行
    (アトピーに良くありません)
  • 団体旅行
    (仕事ですら疲れるのに…)
  • アニメと漫画
    (マンガ本は家にありません,昔は少年マンガの単行本でサイボーグ009とバビル2世はありましたけど,あ,鉄腕アトムもあったかな)
  • アウトドア系の話
    (文明のないところで暮らすのは苦痛です)

2013年5月15日

シンセもCDJもドラムマシンも手放した

先日,ギターに引き続いて,シンセもCDJプレーヤーも,そしてドラムマシンも手放した.どれも愛着のある機械であり,性能も良いのだが,結局使い切れなかったというのが本音である.一切の楽器を手放したのは,実に1978年から数えて35年ぶりである.もっとも,最近のコンピュータはソフトウェア楽器にすぐなってしまうので,これはあまり意味のないことかもしれないが.手放した機材のうち,CDJ-800とMicroKORGは,どちらも実際のレコーディングで大活躍してくれた.幸い状態も良く,次のオーナーには十分活用してもらえるだろう.

この写真は2007年の夏に撮ったものだ.2013年5月現在,いまだにSoma FMで使ってもらっている.DJのフリをするのは,この写真の通り私にもできる.ただ,本格的にビート合わせとかスクラッチでやろうとすると,非常に高い技術を身体に覚え込まさないといけない.そこまでの努力は私にはできなかった.キーボードも両手ではまともに弾けないし,ギターも速弾きができるわけではない.どれも中途半端だったように思う.

音楽演奏はすてきな活動だと思う.ただ,昨今の技術の進歩は,素人が安易に音楽を作れないほど楽器の性能を上げてしまった.作り込まれた作品に価値がないとはいわないが,パフォーマンスの要素を欠いた音楽には,もはや商業的価値すらないだろう.ライブのできない人に,ミュージシャンを名乗る資格はないと思う.そんなわけで,すでに作曲からは2007年の夏に手を引いたのだが,演奏にはまだ未練があった.しかし,過去21年間にレコーディングした回数が10回に満たないという事実を直視すれば,自分にはもはや音楽演奏の道を追求する資格はないように思う.

実は音響編集のための機材は,まだ手元に置いている.ちょっとしたプレゼン用のビデオぐらいは作れるようにしておきたいからだ.趣味としてのラジオ/無線にも使えるからでもある.作り込むことを追求する楽しみは,まだ持っておきたい.

2013年5月4日

ギターを手放した

先日ギターを手放した.すでに改造を加えていて,しかも何年も弦を張り替えていないものだ.ここ数年まともに弾いたのは,クリスマスの時だけである.リサイクル屋でギターを個別に引き取ってくれるところがあったので,送った.ピックや弦を巻く装置,専用の弦カッターなども全部手放した.

実は手放したギターはこれで3台目になる.1台目の1978年に買ったYAMAHAのフォークギターは,21世紀になる前に廃棄処分にした.2台目の1980年に買ったレスポール型の日本製(ARIA PRO II)のギターは,大阪に1992年に移り住む前に,今ならとんでもない高値が付くであろうBOSSのOD-1と一緒に知人に譲った.

今回手放したのは2001年に買ったフェルナンデスのZO-3である.内蔵のアンプは外して,1石FETのプリアンプを組み込んだ.当時は高輝度LEDが世の中に出回り始めたころで,象の目にあたるところは緑色に輝くようにしてある.

手放した理由は簡単だ.ろくに練習もしていないし,もはや左手でビリ付きなく弦が押さえられなくなっているからだ.こんな状態では,まともに他人に聞かせられるような演奏はできない.

1982〜1983年の高校生のころは受験そっちのけでキーボードもギターもヘタながらに自己流で一生懸命弾いていたけれど,そのころの演奏能力が実は自分にとってはピークだったのだと,最近思い知らされている.最後に多重録音をやったのは2007年だが,その時はリズムも運指もガタガタのフレーズを全部ループにして編集しているので,まともに演奏していたとはとてもいえない.

音楽は身体性そのものが問われる芸術である.演奏は特にそうだ.よほど普段から練習していなければ,まともなものはできない.そして音楽に限らず,あらゆる創作行為は,すべて真剣勝負で身体に覚え込まさなければ一流にはなれないのが非情な現実だ.

プログラミングの現場に戻って,自分が如何にナマケテいたかを思い知らされている.自分が楽器を止めても誰も困らないだろうが,コーディングでいいかげんなことをしたら,タダでは済まされない.

そんなこともあって,ギターを手放した.まだシンセやドラムマシンは残っているが,これらに触れる時間は,当分来ないだろう.

2013年3月27日

ボヤ騒ぎとErlang Factoryはサンフランシスコの華?

(写真: 筆者の発表前の様子,原 陽亮さん撮影)

2013年2月にBashoジャパンで仕事を始めてから,それまでとは打って変わって忙しい日々を過ごしている. 寝る時間と食事の時間以外は(通勤時間は激減したものの)移動しているか,新しい仕事の手順を覚えているか,物書きかコード書きかテストかサポート対応をしているか,あるいは人前で話をしているか会議をしているかという状況である. それまでやっていなくて苦労したことは無数にあるのだが,とり急ぎいくつかかいつまんで並べておくと

  • Riak
  • Amazon AWS S3
  • AppleのMac関連製品とOS X
  • 日本深夜の電話会議
  • BlueToothの音声デバイスの使い方
  • GitHub
  • Google Drive
  • OS X用のMicrosoft Office Suite
  • Vagrant
  • ゴリゴリのErlangコード読み(これに関してはまた稿を改めて説明したい)
  • DTrace

…などなど,自分のスキルセットがいかに不完全で,研究者気取りの過去12年間はサボってばかりいたことが丸分かりである.反省している暇はないので,とにかくやるしかないのではあるが.

本論に入る.

2013年3月21日〜22日まで,米国サンフランシスコにて Erlang Factory SF Bay Area 2013の会議に参加してきた. 自分はアマチュア無線とRiakというおよそニッチなネタでの発表もしてきた. Erlang Factory SF Bay Areaへの参加は連続して4回目になる. この会議はどことなく「祭」の性格が強い. 特に昨年ダウンタウンのホテルに移動してからは,夜のErloungeが結構強烈で,皆ひたすら話し込むという大宴会の様相を呈していた.

今回は2011年の私の発表中に火災報知器が誤作動して全員一時退避した事件に続き,Erlounge中に火災報知器が誤作動してホテル内滞在者は全員屋外に退避するという,珍事が発生した. もっとも2011年のホテルでは地上階で発表をやっていたので退避は容易だったのだが,今回は11階の宴会場から退避せねばならず,全員真剣に階段を降りて行った.ホテル内には年配の宿泊者の方々も多いため, 移動は粛々とかつ整然と行われた.このへん騒ぎにならないところはさすがである.とはいえ,消防車が安全を確認した後,消防士と写真撮影をしていた人達がいたのには驚いたが. 観光客,あるいは居住者や市民への広報活動ということなのだろうけど,日本ではあまり考えられない光景である.「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があるが, もはやこの会議では火災報知器の誤作動が伝説と化してしまった感は否めない.(さる本の筆者は安全確認終了後,再び宴会場に戻って飲み続けたとか….)

この会議,日本語母語話者かつ英語非母語話者である参加者が非常に少ないのが残念である.2010年は2人,2011年は3人,2012年は私1人,そして2013年は私,同僚であるBashoジャパンのリードエンジニア上西さん, OpenXの田中さん(米国在住),楽天研究所の原さんと4名しか確認できていない.日本からSFOは決して遠くはないし,Talkの質も内容も非常に濃いので,Erlang/OTPビジネスの動向を掴みたい人達は是非参加することを お勧めする.今年は本会議以前にもRaspberry Piで動かすErlang/OTPのチュートリアルや,OTPやRiakのトレーニングなど,楽しい企画はたくさんあったので,1週間滞在しても損はないだろう.

ところで今回は会議場から南に数ブロック下がったMarket St.の靴屋さんに同居しているBashoWest (Basho Technologies San Francisco office)で仕事をしていた. (階下にはimgur.comを運営するImgur, LLCのオフィスがある.) ここは大学の部室のような雑然としたオフィスであり,特に勤務時間の制約もなく,およそ日本の大企業のそれとはかけ離れた世界であったが, 皆真剣に仕事をしていて,活発な議論と雑談が行われていたことを記しておく.滞在中はScott Fritchieをはじめ,多くの米国の同僚に世話になり,充実した時間を過ごせた. これだけ密度の高い海外出張は人生初体験であり,いささか身体的には疲れたが,仕事はこうやらないといけないということを今さらながら実感している.

2013年2月7日

Bashoジャパンにて働き始めました

2013年2月1日より,Bashoジャパン株式会社にて,シニアソフトウェアエンジニアとして働くことになりました. 関係者の皆様には,私の就職にあたり,多大なるご協力とご支援をいただきました.厚く御礼申し上げます. 今後は,自分のソフトウェア開発技術の基礎から叩き直す覚悟で精進致します.どうぞ今後ともご支援のほど,よろしくお願い致します.

Basho TechnologiesにはErlangにおいても分散データベースにおいても世界第一線級のエンジニアたちが集まっており,日々新しいことを吸収していかなければ,自分がついていくことさえ難しいのですが,その分自分が今まで培ってきたものを最大限活用できる可能性のある場所でもあります.その意味で,大変ではありますが,充実した日々を過ごしています.現時点では,少なくとも1990年から2年間外資系企業で働いたことは間違いなく役立っています.

今後,どのような仕事を自分がしていくのかは,まだ予想がつきません.Bashoの分散データベースRiakはすでに各社の最前線で活用されており,多くの機能要求も出ています.これらの要求に対して,迅速な開発と高い品質の維持を持って応えることに貢献しなければならないことは言うまでもありません.そこに自分のネットワーク技術者,OSプログラマ,そしてシステム管理者としての経験がどれだけ活かせるか.そこが勝負です.