2011年3月29日

インターネットとテレワークが変える出会いの意味

(新卒準備カレンダー2011 http://atnd.org/events/13324 の関連エントリです.)


お前誰よ?

自分自身はコンピュータ屋であり,技術屋であり,その延長上に研究者稼業があると思っています.

詳しいプロファイルは別にページがあるのでそちらを見てください.ここでは職歴について述べます.

私は1990年に大学の修士を出てコンピュータ屋の仕事に就きました.この4月から22年目に入ります.やってきたことはOSライブラリの開発に始まり,今ならインフラエンジニアの仕事であろう職場内ネットワークの設計や構築,そして管理と運用で2000年末までは過ごしてきました.2001年より縁あってコンピュータ・ネットワーク全般の学術研究に近い仕事をするようになり,2005年に社会人として博士号を取ってからは国の研究機関で本格的な研究者としての道を進みました.

そして昨年2010年より,大学で職場内の情報セキュリティレベルをどうやって高めていくかという課題に取り組んでいます.現職の肩書は教授となっていますが, 仕事の大半は他の教職員の方々と連携して問題解決を迅速に行うことであり,学生の教育はしていません.とはいえ,教員として採用されていますので,教授としての知識やプレゼンテーション能力,交渉能力は常に求められますし,業務の傍ら研究も人に恥じないだけの成果を上げることが要求されています.

お金の面を考えれば,自分のプロジェクトに関する予算管理や予算獲得もしなければなりません.ある先輩の教授が自らを「個人商店」と称しておられましたが, お金の面でそれに似たところが確かにあります.その結果として,一定のルール の範囲内で予算使用の裁量権をいただいて必要な物を買ったり,自分だけで難しいことは外部の業者の方々に仕事を請け負ってもらうこともします.もっとも,学生教育を担当しない私には現在学生は配属されないので,結局は1人で切り盛りしていますが(笑).

なんで研究者なんかやってるの? 企業で働いたほうが儲かるんじゃないの?

これは家業(笑)だから,好きだから,あとは時間の制約が緩いから,という3つの理由が主なものです.

個人的な感覚でいえば,研究者という職業は半ば家業に近いものがあります.研究稼業に関する感覚は,子供のころから身に付いていました.父と母の兄(伯父)が地球物理学の研究者で,妻がドイツ語教育実践に関する研究者であることもあり,大学での仕事を見ることは常に生活の一部でした.父が家で作図をしているときにグラフの描き方を教わったり,対数表の見方を教わったりしたものです. 前述の通り結婚してからしばらくの間は私は会社員でしたが,それでも妻の事務作業の手伝いをすることはしばしばありました.

仮に人生の主たる目標がお金を稼ぐことだったとしたら,今のような仕事はしていなかったでしょう.人より多くお金を稼ぐことは,自分の身体を磨り減らさずにはできません.そういう意味ですべての営利組織は流行り言葉でいえば「ブラック」です.大学も例外ではありません.教授という立場では大学の各種事業に対し一定の経営責任を持つことになりますから,自分の時間に優先して意思決定をしなければならないことが多々あります.ある程度「ブラック」なことを受け入れない限り,何も新しいことは成し遂げられないし,既存事業の維持すらできないのが現実です.これは社会人,いや大人の1つの義務だと思います.

研究者とテレワークの不可分性

その場にいなくても仕事をすることを「テレワーク」と言います.テレワークはコンピュータの登場以前からあった考え方ですが,インターネット時代の今,研究者という仕事と,テレワークは,ますます不可分になっていると思います.

私が研究者の道を選んだのは,被雇用者でありながら,自分の労働時間と場所を比較的自由にできる,という利点があったからでもあります.日本に限らず,現在の労働の制度は,基本的に「現場に出勤して一定期間の間存在すること」を強制します.これは製造業や農業,サービス業などモノを扱う仕事では不可避ですが,コンピュータやネットワークの利用が進んでいる今,IT産業に従事する人達の多くにはこの拘束を適用する必要はないと私は考えています.特に,情報科学/情報工学の研究者は,テレワーク環境を社会全体に積極的に作っていかなければならない立場にあるべきだとも私は考えています.

もっとも,技術的にはすでにテレワークは誰でも可能な状態になっていますし,そんなに特殊な設備が必要というものでもありません.今はむしろ労働環境と社会風土の問題として改善していくことが必要でしょう.その意味で2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に始まる一連の災害は,通勤による社会全体の損失を抜本的に考え直す機会になるかもしれません.

(もちろん,2011年3月末での当面の課題は,第一に人命の救助,次に如何に破壊された土地や建造物,社会コミュニティを立て直していくか, そして東京近郊一帯が抱える構造的電力不足をどうやって乗り切るかということであり,テレワークはあくまでそれらの復興のための道具以上にはなり得ないのですが.)

私は現実に健康問題を長期間抱えていることもあり,最初の職場を精神的にも肉体的にも続けられなくなって辞めた後は,基本的にはテレワークを前提として仕事を行えるシステムの構築技術や手法,ノウハウの蓄積とその実践に勤めました.結果としてそのことは,現在の仮想化,クラウドコンピューティング,分散環境や非同期I/O,並行処理や並列処理といった複雑な問題を,より大局的な見地から俯瞰する機会を与えてくれたといえます.災い転じて福となす,といったところでしょうか(笑).

テレワークの時代になぜ人に会いに行くのか

この文章の大半は米国サンフランシスコ近郊で開かれていた国際会議から日本に 戻る飛行機の中で書いています.通勤や出張は人やその移動用の支援物資を動かさないといけないですから,その意味では大変なコストがかかります.ですから遠隔地の日常業務はテレワークで行うことが必然的に増えています.国際会議の投稿管理システムも今はインターネット上の情報だけで問題なくできるようになり ました.実際に今回の国際会議で会った人達の内何人かとは,日常的にメールを交わしています.

では,なぜそれでも人に会いに行くのか.それは会わないとわからないことがたくさんあるからです.ある人が仕事,あるいは生活のパートナーとして信用できるかどうかは,その人の立ち振る舞いを見てみないとわからないことが多いのです.食事の時のしぐさ,あいさつの時の視線,言葉の明瞭さ,外向的か内向的か,などなど,意識しない内に人間は他人を評価しているものです.そしてまた,自分も評価の対象となっていることを意識しなければなりません.

ある物事が進んでいるコミュニティ,マーケット,あるいは「場」には,必ずその場特有の雰囲気があります.それを知らないでその場に参加することは,実質的にはほとんど不可能です.そしてその雰囲気を知ることで,自分がその場で共有される知識や共同で行う作業に対してより積極的にかかわることができるようになります.ここ数年のIT関連の勉強会ブームもこの流れの一端といえるでしょう.この流れを全世界に拡大すれば,それは必然的に国際会議開催の動機となり得ます.国際的な勉強会というと大げさですが,お金と参加者の都合さえつけば不可能ではありません.

もっと外に出なければならないのになぜ皆出ないのか

今の日本にある構造的問題の1つは,国際会議への参加について,あまりにも経費の上での制限が多いことです.費用を出す側に国際会議の意義に関する理解が足りないということもあるでしょう.未だに海外出張を遊びの延長として捉えている人達が大多数であるのは嘆かわしいことです.無駄なルールが多すぎるのも気になります.経費節減の折,国内出張にも制約が入りつつあります.悲しいことです.

しかし,本来資源のない日本は,国際交流の中で付加価値を売ることで,現在の繁栄を築いてきたはずです.既存の制度が使いにくいからといって,日本から海外に出ない,というのは自らの首を閉めるようなものでしょう.人生の早い時期で海外での仕事の体験をすることは,その後国際的な仕事を進める上で不可欠なものとなります.もちろんこれは海外対国内といった図式に限らず,国内でもさまざまな地域で仕事をしたり,いろいろな会社や組織相手に仕事をすることで得られる経験ではありますが,英語を始めとした日本語以外で仕事をする経験は,なかなか国内では得られないという事実は心得ておくべきでしょう.

もし海外に出ることができる機会があるなら,できるだけ早く,出ていってみて見聞を広めることを強くお勧めします.

インターネットは世界の出会いを広げその定義を変えていっている

インターネットによって人々が家に引き籠ってしまったという仮説があります. しかし,社会的なひきこもりの問題は,実はインターネット以前から続いている問題であり,むしろ社会問題として扱われるべきでしょう.

私個人は,むしろインターネットにより世界や国内の見聞を広めることができ,そして足を運んでみようと思う地域が増えました.かつては国や地域がそれぞれ固有のイデオロギーで対立していましたし,今もそのような対立が理由の紛争は続いていますが,それと同時に以下に述べる考え方もできるようになったと思っています.

  • 世界のどの国や地域にも,自分と考えが合う人達と,合わない人達がいる
  • 自分にとって「イヤな奴」になるか「友達」になるかは,相手の出身地域や国には必ずしも規定されない
  • それぞれの国や地域のイデオロギーに染まる人達には,それぞれの理由があり,それは社会的な問題だけでなく,むしろ経済的な問題が支配していることが多い
  • 世界のコンピュータ屋の使っている技術は,おそろしく共通化されている(笑)

今や世界の各地域の問題は,全世界に影響を与えます.日本の災害により,世界の各産業が影響を受けています.そしてアラブ地域の政情が変われば,日本にとって不可欠な原油の値段が高騰します.

既存の社会の仕組みについて,我々自身が深い知識を得たうえで,どれだけそれらを相対化して客観的に判断することができるかが,今後の社会のあり方を決定する上で重要不可欠なことになってくるでしょう.

あなたの友達は,隣の人かもしれませんし,地球の反対側の人かもしれません. それとも同じ国でも違う地域の人かもしれません. そういう前提を忘れずに,広い心で仕事を学び,社会人として我々と共により良い社会を作っていきましょう.

ようこそ,コンピュータ技術者の世界へ.