最近日本語の文章をNoteの自分のページに書くようになった。このブログは残すが、今後はNoteの更新頻度が高くなると思う。
2018年7月29日
2016年2月8日
CROSS2016に参加して
先週2015年2月5日金曜日に、横浜にてCROSS2016というソフト屋/Web屋さんのためのイベントがあったので、行ってきた。アンカンファレンスではACM Erlang Workshop 2016とErlang Factory SF Bay 2016の話もしてきた。
CROSS2016には個人スポンサーとして参加した。これは自分のいた会社の元同僚が登壇者として出ていたこと、そして広告を出していただける珍しい機会だったことが理由だ。あと、登壇者の中にはずっと会いたかった人達がいたので、挨拶をしておきたかったというのも理由だった。(言い換えれば、そういう理由がない限り、自分が主たる登壇者にならないようなイベントに行くことは最近はまずなくなりつつある。)
各セッションの内容についての感想は以下の通り(プログラム)。
- 労使の本音バトル: これはノーチラステクノロジーズの神林さんが言っていることがいちいち腑に落ちていて、結局 ship or die あるいは release or quit でしかないという感想しかなかった。別に何をやっていてもいいのだが、納期が守れないとどうにもならない。もちろん私も納期をトばしてしまったことは25年前ぐらいには何度かあったので他所様のことはいえないが。仕事を楽しくできることはもちろん大事なことだが、一度仕事を受けたら完結させるしかないというのは楽しい云々以前の問題だろうと思う。
- 業務システムをRDBなしで作れるのか: このセッションは事前の資料なしには理解できない内容だったが、RDBなし、というのは、トランザクションを他のやり方で実現、あるいは担保するしかない、という基本に忠実な発表だったと思う。
- 先達に聞くこれからのエンジニア像(この記事に概要がある): 登壇者の御三方の論調は予想できていたし、まあ率直な話勉強会にすら行かせてもらえないような会社で仕事なんかしたくないだろうなあとは私も強く思うのだけど(そういう制約がイヤで結局組織人としての人生を23年間で止めてしまったわけだし)、それが世間の常識と強弁できるほど世の中は甘くもないだろうなあという感想もあった。まあ日本には職業選択の自由と移動の自由が基本的人権としてあるはずなので、それを行使するもしないも個人次第だとは思う。伊勢さんの「死ぬわけじゃないんだからいいじゃん」というのには大いに笑った。怒られても殺されるようなことはない、というのはその通りだし。(もっとも、私は死にそうな目に遭ったこともあるので、死にそうになったら辞めるなり逃げるなり休むなりしたほうがいい、ということは強調しておく。)
- 日本でのグローバルなプロダクトやサービスの開発とは: モデレーターの小野さんは登壇者の4人を御すのが大変だったろうと思うが(4人ともとても優秀な人達なので)、見事にリードしておられましたね。まあ、世界中で使ってもらえないようなプロダクトをOSSで作ってもしょうがないので、公開するOSSは全部英語でドキュメント作るべき、とは思う。OSSでなくて、特定のお客さんから日本語で作れという要請があれば、日本語でやればいいけど。あと、会場で時差の話が出ていたが、それについてはこのQiitaの記事に言いたいことは一通り書いているので、ぜひ読んでいただければ嬉しい。
- アンカンファレンスではこのスライドの通り話をしました。終了後声をかけていただけたのはありがたい限り。
イベント全体はそれなりに良く運営されていたと思うのだけど、1つ苦言を呈するとすれば、会場の音響がメチャクチャで複数のセッションのPAスピーカーからの音が激しく干渉してロクに各セッションの音が聞こえない状態だったのは、とても残念だった。これだと何のためにイベントをやっているのかわからないので、音響の問題は次回はぜひ改善していただきたいと思う。あと、A会場/B会場では、照明の関係で話者の顔が見えないという指摘が知人からあった(その通りだと思う)。
ともあれ、今回は会うべき人達には皆ご挨拶できたし、それなりに楽しめたので、スポンサーシップを提供した意義はあったと思う。来年はぜひ音響面だけは改善してより良いイベントになることを期待したい。
2014年4月2日
2007年1月の年頭所感より
ふと思い立って,自分の2007年の年頭所感を読み返してみた.面白かったので再掲する.
6年3ヶ月経過して実現できたのは
- 音楽活動のほぼ完全停止
- (アマチュア)無線活動の部分的停止(基本的に10月〜3月のみとし,4月〜9月は休業)
- 外部条件により半ば強制的にカネの稼ぎ方を考え直させられている
…ぐらいでしかない.
人間というのは,恐ろしいほど変わらないものだということを,実感する.そして,今は2007年よりも,世界の状況はさらに悪化していることに,驚くばかりである.
(以下,2007年01月03日 10:44JST の mixi 日記より引用.「今年」という表現は,2007年のことであることに注意されたい.)
人生後半
2004年に親父を亡くして以来,人生後半なのだというのを強く意識するようになった.簡単にいえば,年寄りになったということである.つまり,糾弾する側から糾弾される側に,高齢化社会にとってはリソースを食いまくる迷惑な存在になったということだ.
そろそろ人生のいろいろな活動から撤退して死ぬための準備をしなければならなくなったことを痛切に感じる.
この20年は
- 言論の自由を阻止しようとする政府という悪との戦い
- あらゆる障壁のdeconstructionと徹底した国境開放
- コンテンツ売りでぼろ儲けしようとする連中との戦い
に明け暮れたような気がする.
もっとも,1.については
1.1 政府と役人自身があらゆる分野で責任を放棄するというもっとも凶悪な戦略を実行しているので,いったい誰が悪いのかということが見えなくなってしまった
1.2 私も含め「教師は憎むべき対象」「年寄りは害毒」という考え方が一定世代以下の人たちには十分に行き渡ったせいか,その無謬性を前提にした犯罪が増えてしまった
1.3 本当の悪は政府の裏についている国民全体(もちろん自分も含む)と,政府を裏で動かしているマフィア(圧力団体ともいう)達であることが次第に明らかになりつつある
という問題が見えてきてしまったので,昔ほど単純に主張できなくなってきている.また,自分がかつて敵対していた組織から,禄を食むことを余儀なくされているからかもしれない.好き嫌いや良し悪しだけでは仕事は選べないし,どんな組織の中にもうまくやっていける人間はいるので,簡単に敵味方の論理では語れなくなってきた.
2.については,日本は核攻撃されても国境を開かなかったのだから,私の生きている間には徹底開国は実現しないだろうと思う.もっとも,そうなる前に労働力不足で 移民の導入は必須だろうけど.そうなったらなったで生きていく覚悟はあるが,大半のdomesticatedされた(domesticでないことに注意)日本人にはつらかろうと思う.まあ,彼らがどうなろうと,私は私でやっていくしかないが.
3.については,率直な話コンテンツ産業にかかわればかかわるほど,空しくなってやる気が失せていくのが現実だろう.多くの創作行為が違法とされている中で,本当に面白いものは不法行為の中にしか残らないのではないかと思う.ならばその不法行為を合法化すればいいのだが,どうもコンテンツ産業のお化けたちは死ぬまで吸血鬼でいたいらしい.
一言で言えば,この20年間,無駄な戦いをやっていたなと思う.ヘタに正面切って戦うよりは,食うためのゲリラ戦に徹したほうがずっと良さそうだということに気がついた.原点に返ったともいえるのだが.
今年はとりあえず
- a)音楽活動の一定分野にピリオドを打つ.今までやってきた活動との重複を避ける,残すのはDJとラップだけ
- b)無線活動は極力縮小し,その分のエネルギーは電子工作技術の習得に回す(ハードウェア技術は飯のタネになるだろうから)
- c)コンピュータを好きになってちゃんとコーディングと実験をしよう,仕事をしよう
- d)人間関係としてのインターネットは極力縮小し,くだらない争いには首を突っ込まない
- e)インターネットの前提にあるabstraction technologyの復習をする
- f)カネの稼ぎ方を考え直す
- g)面倒がらずに身体を立て直して世界中動き回る
- h)自宅コンピュータシステムの縮小,アウトソース化
ぐらいのことはしたい.
…これだけ書けば,new year resolutionとしては十分だろう.
(以上で引用終わり)
2013年1月2日
今時のアマチュア無線 (3): 怨嗟と復讐の果てに
年の始めに似合わず物騒なタイトルだがご容赦を.
タイトルの「怨嗟と復讐の果てに」というタイトルでGoogle検索をしたら, 山のようにオンライン小説が結果に出てきた. それだけこのテーマは古典的なものなのだろう.
怨嗟と復讐の果てに見えるものは,常に廃墟でしかない. 最近,特にその寂しさを感じるようになった. しかし,復讐を遂げることなくして,その廃墟には辿りつかないのもまた事実. 仮に復讐のために時間を無駄にしたと後悔したところで, 記録はそこに残っている.すこし,その記録について述べようと思う.
自分の人生は,常に罵倒されることと,復讐の繰り返しだったと思っている. その始まりはアマチュア無線だった.後にコンピュータに手を染めた時も, 技術者/研究者人生を始めた時も似たようなことはあったのだが.
1976年に小学校5年生でアマチュア無線を始めたとき,周囲の反応は冷やかだった. たかが11才のガキが何を言ってるんだ,というのが世の中の現実だとその時知った. ましてや1.5Wの無線機に半波長ダイポールですらないただのホイップアンテナでは, いくら人の多い6m(50MHz)バンドでも誰も相手にしてくれないのも無理はない. アマチュア無線もまた社会の縮図であり,何も知らない子供が出ていくところではない. でもそんなことは誰も教えてくれなかった.いや,教わりようがなかったかもしれない. 周囲に無線の経験者はいなかったのだから. BDXというコールサインを「バカ,ダメ,バッテン」と罵られたことは今でも忘れない. 子供にアマチュア無線をやらせてはいけない,というのは半ば真実だったと思う. 2013年の現代なら,さしずめ「インターネットリテラシー」と同様の問題として 取り上げられるだろう.
1980年代後半に430MHzや1200MHz両バンドのUHFの 無線のパケット通信に手を染めたときも, 多くのアマチュア無線家が冷やかな視線を向けてきた. 当時はまだCQハムラジオ誌には筆者自宅の住所なるものが公開されていて, パケット通信の原稿を書かせてもらっていた私は, ごていねいに匿名の脅迫ハガキを受け取ったこともある. 現代ではこんなことが起こったら個人情報保護法違反で大騒ぎしそうだが, ネットの世界で似たようなことが起こっていることを思えば, 今も昔も卑怯な奴等というのは変わらず存在するのは同じだ.
そのパケット通信の世界でも, TCP/IPやNetNews/USENETが未来だという主張を受け入れた人達はほとんどいなかった. 1980年代当時のパケット通信を仕切っていたのが 現在でも強大な設備を持つ短波HFの遠距離交信を競う DXer達であったこともあって, およそHFのアンテナなど上げようのない立場だった 自分とは意見の一致のしようがなかったことを覚えている. だから今もDXerという言葉は好きになれない. もちろん真にDXerと呼んでリスペクトすべき人達も存在することは確かなのだが.
2002年の夏に思うところあってHFの電信(CW)を始めた時も, どこぞの匿名掲示板で何やら難癖をつけられたことがある. かようにアマチュア無線家と匿名掲示板というのは相性がいいらしい. 本質的に(自分を含めて)根性の悪い連中の集まりだからだろう. まあ,こんな連中を黙らせるには,相手にせずにさっさと自分が先に行ってしまうのが 一番の早道であるというのは後で実感したことだが. その後2003年にさっさと日本の第1級アマチュア無線技士と米国のAmateur Extra級の 資格を取ってからは,誰も免許のことで文句は言って来なくなった.
この10年HFをやってきて感じたことは, 結局のところ成果を出せば誰も文句は言ってこなくなるということ. そして,復讐を遂げたと思ったころには,競技場には屍しか残っていないということ. 言い換えれば,文句を付けて恨み言を述べるべき相手は, すでに死んでいるか,ゲームから降りているか,あるいは黙って首を引っ込めているかの どれかだということだ.
(写真は私が2009年9月にARRL DXCC Challengeアワードの盾をもらった時の記念に撮ったもの.)
2002年からの10年強の間に, 世界各地との交信を競うDXCCアワードにて ただのワイヤーアンテナと100Wで250エンティティ以上を叩き出し, 80m(3.5MHz)〜10m(28MHz)の8バンド合計で1100エンティティ以上の交信を実現できたことに 文句はいうまい.率直な話,幸運だと思っている. あの1976年に私をからかった人達が,この記録を見て,何と言うだろうか. 残念ながら,彼等の多くはもうアマチュア無線を止めているのだが. 当時の自分に語ることがあるとするなら,親父が言っていた 「今無線をやらなくても,いずれやる機会はあるさ」 ということだろうか. あえていえば,高いところにアンテナを上げるためのタワーも ハイパワーで運用するためのリニアアンプも持たないでいるが故の 限界は感じているかもしれない(笑).しかしこれは怨嗟ではない. ライセンスはあるのだから,やれる時にやればいい.
そんなわけで,今年からはマイペースで行こうと思う. 技術的にはまだまだやり残していることがあるし, 運用の世界でもまだまだ学ぶことはありそうだ.
最後に余談を. 日本アマチュア無線連盟(JARL)というのは,詳細は控えるが, 今の日本の製造業大企業をもっと悪くしたような最悪の組織である. 先代の会長は独裁政権を40年以上も続けていて,その弊害は著しい. かつてJARLの批判記事をWeb日記に書いたら「そんなことは言うもんじゃない」という 忠告があった.社会主義のソ連ではないが,それだけ日本のアマチュア無線の 世界は硬直しているのである. しかし,そのJARLも,いまや組織としては瀕死の状態であり, いつ崩壊してもおかしくはない.もはやそこにかかわっている人達の多くが, 組織の保存という自己目的化のためだけに活動しているような状況である.
でも,もはやJARLとはかかわらなくても,何の問題もなくなってしまった. 総務省とは免許の上でお付き合いが必要だが,JARLは支援しなくても アマチュア無線は十分楽しめる.紙のQSLカードだけがJARLの存続する 最後の理由だったのだが,今や交信証明というQSLカードの目的は Webサイトで十分実現できる.そして交信証明の必要なアワードが 自らそのデータベースのためのWebサイトを運用するという ビジネスモデルを米国の無線連盟であるARRLが実現してしまった現在, JARLの存在意義は無きに等しい. これはビッグデータならずともデータベースの積極的活用を推進している米国と, ビッグデータへの理解も技術もない日本との彼我の差が如実に出た例と言えるだろう.
日本に生まれ日本に住み日本の免許を持ち日本で電波を出している者としては 現在の日本の状況は甚だ残念だが,今後も日本以外の世界を見据えて せいぜい楽しんでいきたいと思う.これはアマチュア無線の世界だけではない 話になりそうだが.
そして,この話も「今時のアマチュア無線」の実情である.そう思って読んでいただければありがたい.
2011年3月29日
インターネットとテレワークが変える出会いの意味
(新卒準備カレンダー2011 http://atnd.org/events/13324 の関連エントリです.)
お前誰よ?
自分自身はコンピュータ屋であり,技術屋であり,その延長上に研究者稼業があると思っています.
詳しいプロファイルは別にページがあるのでそちらを見てください.ここでは職歴について述べます.
私は1990年に大学の修士を出てコンピュータ屋の仕事に就きました.この4月から22年目に入ります.やってきたことはOSライブラリの開発に始まり,今ならインフラエンジニアの仕事であろう職場内ネットワークの設計や構築,そして管理と運用で2000年末までは過ごしてきました.2001年より縁あってコンピュータ・ネットワーク全般の学術研究に近い仕事をするようになり,2005年に社会人として博士号を取ってからは国の研究機関で本格的な研究者としての道を進みました.
そして昨年2010年より,大学で職場内の情報セキュリティレベルをどうやって高めていくかという課題に取り組んでいます.現職の肩書は教授となっていますが, 仕事の大半は他の教職員の方々と連携して問題解決を迅速に行うことであり,学生の教育はしていません.とはいえ,教員として採用されていますので,教授としての知識やプレゼンテーション能力,交渉能力は常に求められますし,業務の傍ら研究も人に恥じないだけの成果を上げることが要求されています.
お金の面を考えれば,自分のプロジェクトに関する予算管理や予算獲得もしなければなりません.ある先輩の教授が自らを「個人商店」と称しておられましたが, お金の面でそれに似たところが確かにあります.その結果として,一定のルール の範囲内で予算使用の裁量権をいただいて必要な物を買ったり,自分だけで難しいことは外部の業者の方々に仕事を請け負ってもらうこともします.もっとも,学生教育を担当しない私には現在学生は配属されないので,結局は1人で切り盛りしていますが(笑).
なんで研究者なんかやってるの? 企業で働いたほうが儲かるんじゃないの?
これは家業(笑)だから,好きだから,あとは時間の制約が緩いから,という3つの理由が主なものです.
個人的な感覚でいえば,研究者という職業は半ば家業に近いものがあります.研究稼業に関する感覚は,子供のころから身に付いていました.父と母の兄(伯父)が地球物理学の研究者で,妻がドイツ語教育実践に関する研究者であることもあり,大学での仕事を見ることは常に生活の一部でした.父が家で作図をしているときにグラフの描き方を教わったり,対数表の見方を教わったりしたものです. 前述の通り結婚してからしばらくの間は私は会社員でしたが,それでも妻の事務作業の手伝いをすることはしばしばありました.
仮に人生の主たる目標がお金を稼ぐことだったとしたら,今のような仕事はしていなかったでしょう.人より多くお金を稼ぐことは,自分の身体を磨り減らさずにはできません.そういう意味ですべての営利組織は流行り言葉でいえば「ブラック」です.大学も例外ではありません.教授という立場では大学の各種事業に対し一定の経営責任を持つことになりますから,自分の時間に優先して意思決定をしなければならないことが多々あります.ある程度「ブラック」なことを受け入れない限り,何も新しいことは成し遂げられないし,既存事業の維持すらできないのが現実です.これは社会人,いや大人の1つの義務だと思います.
研究者とテレワークの不可分性
その場にいなくても仕事をすることを「テレワーク」と言います.テレワークはコンピュータの登場以前からあった考え方ですが,インターネット時代の今,研究者という仕事と,テレワークは,ますます不可分になっていると思います.
私が研究者の道を選んだのは,被雇用者でありながら,自分の労働時間と場所を比較的自由にできる,という利点があったからでもあります.日本に限らず,現在の労働の制度は,基本的に「現場に出勤して一定期間の間存在すること」を強制します.これは製造業や農業,サービス業などモノを扱う仕事では不可避ですが,コンピュータやネットワークの利用が進んでいる今,IT産業に従事する人達の多くにはこの拘束を適用する必要はないと私は考えています.特に,情報科学/情報工学の研究者は,テレワーク環境を社会全体に積極的に作っていかなければならない立場にあるべきだとも私は考えています.
もっとも,技術的にはすでにテレワークは誰でも可能な状態になっていますし,そんなに特殊な設備が必要というものでもありません.今はむしろ労働環境と社会風土の問題として改善していくことが必要でしょう.その意味で2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に始まる一連の災害は,通勤による社会全体の損失を抜本的に考え直す機会になるかもしれません.
(もちろん,2011年3月末での当面の課題は,第一に人命の救助,次に如何に破壊された土地や建造物,社会コミュニティを立て直していくか,
そして東京近郊一帯が抱える構造的電力不足をどうやって乗り切るかということであり,テレワークはあくまでそれらの復興のための道具以上にはなり得ないのですが.)
私は現実に健康問題を長期間抱えていることもあり,最初の職場を精神的にも肉体的にも続けられなくなって辞めた後は,基本的にはテレワークを前提として仕事を行えるシステムの構築技術や手法,ノウハウの蓄積とその実践に勤めました.結果としてそのことは,現在の仮想化,クラウドコンピューティング,分散環境や非同期I/O,並行処理や並列処理といった複雑な問題を,より大局的な見地から俯瞰する機会を与えてくれたといえます.災い転じて福となす,といったところでしょうか(笑).
テレワークの時代になぜ人に会いに行くのか
この文章の大半は米国サンフランシスコ近郊で開かれていた国際会議から日本に 戻る飛行機の中で書いています.通勤や出張は人やその移動用の支援物資を動かさないといけないですから,その意味では大変なコストがかかります.ですから遠隔地の日常業務はテレワークで行うことが必然的に増えています.国際会議の投稿管理システムも今はインターネット上の情報だけで問題なくできるようになり ました.実際に今回の国際会議で会った人達の内何人かとは,日常的にメールを交わしています.
では,なぜそれでも人に会いに行くのか.それは会わないとわからないことがたくさんあるからです.ある人が仕事,あるいは生活のパートナーとして信用できるかどうかは,その人の立ち振る舞いを見てみないとわからないことが多いのです.食事の時のしぐさ,あいさつの時の視線,言葉の明瞭さ,外向的か内向的か,などなど,意識しない内に人間は他人を評価しているものです.そしてまた,自分も評価の対象となっていることを意識しなければなりません.
ある物事が進んでいるコミュニティ,マーケット,あるいは「場」には,必ずその場特有の雰囲気があります.それを知らないでその場に参加することは,実質的にはほとんど不可能です.そしてその雰囲気を知ることで,自分がその場で共有される知識や共同で行う作業に対してより積極的にかかわることができるようになります.ここ数年のIT関連の勉強会ブームもこの流れの一端といえるでしょう.この流れを全世界に拡大すれば,それは必然的に国際会議開催の動機となり得ます.国際的な勉強会というと大げさですが,お金と参加者の都合さえつけば不可能ではありません.
もっと外に出なければならないのになぜ皆出ないのか
今の日本にある構造的問題の1つは,国際会議への参加について,あまりにも経費の上での制限が多いことです.費用を出す側に国際会議の意義に関する理解が足りないということもあるでしょう.未だに海外出張を遊びの延長として捉えている人達が大多数であるのは嘆かわしいことです.無駄なルールが多すぎるのも気になります.経費節減の折,国内出張にも制約が入りつつあります.悲しいことです.
しかし,本来資源のない日本は,国際交流の中で付加価値を売ることで,現在の繁栄を築いてきたはずです.既存の制度が使いにくいからといって,日本から海外に出ない,というのは自らの首を閉めるようなものでしょう.人生の早い時期で海外での仕事の体験をすることは,その後国際的な仕事を進める上で不可欠なものとなります.もちろんこれは海外対国内といった図式に限らず,国内でもさまざまな地域で仕事をしたり,いろいろな会社や組織相手に仕事をすることで得られる経験ではありますが,英語を始めとした日本語以外で仕事をする経験は,なかなか国内では得られないという事実は心得ておくべきでしょう.
もし海外に出ることができる機会があるなら,できるだけ早く,出ていってみて見聞を広めることを強くお勧めします.
インターネットは世界の出会いを広げその定義を変えていっている
インターネットによって人々が家に引き籠ってしまったという仮説があります. しかし,社会的なひきこもりの問題は,実はインターネット以前から続いている問題であり,むしろ社会問題として扱われるべきでしょう.
私個人は,むしろインターネットにより世界や国内の見聞を広めることができ,そして足を運んでみようと思う地域が増えました.かつては国や地域がそれぞれ固有のイデオロギーで対立していましたし,今もそのような対立が理由の紛争は続いていますが,それと同時に以下に述べる考え方もできるようになったと思っています.
- 世界のどの国や地域にも,自分と考えが合う人達と,合わない人達がいる
- 自分にとって「イヤな奴」になるか「友達」になるかは,相手の出身地域や国には必ずしも規定されない
- それぞれの国や地域のイデオロギーに染まる人達には,それぞれの理由があり,それは社会的な問題だけでなく,むしろ経済的な問題が支配していることが多い
- 世界のコンピュータ屋の使っている技術は,おそろしく共通化されている(笑)
今や世界の各地域の問題は,全世界に影響を与えます.日本の災害により,世界の各産業が影響を受けています.そしてアラブ地域の政情が変われば,日本にとって不可欠な原油の値段が高騰します.
既存の社会の仕組みについて,我々自身が深い知識を得たうえで,どれだけそれらを相対化して客観的に判断することができるかが,今後の社会のあり方を決定する上で重要不可欠なことになってくるでしょう.
あなたの友達は,隣の人かもしれませんし,地球の反対側の人かもしれません. それとも同じ国でも違う地域の人かもしれません. そういう前提を忘れずに,広い心で仕事を学び,社会人として我々と共により良い社会を作っていきましょう.
ようこそ,コンピュータ技術者の世界へ.
2011年2月27日
早期バイリンガルであることの強みと苦労とは
http://www.quora.com/What-are-the-advantages-and-disadvantages-of-early-bilingualism-Does-the-relationship-between-the-two-language-matter
私にとっては,日本語と英語って言語的に一緒のところはほとんどない.だから9~10歳のころにバイリンガルになったってことは人格形成におそらく間違いなく影響していると思う.もう30年以上そんな人生を続けているから,まるで言葉ごとに2つの別の人格に分かれているような気がするし,あるいは二つの言語の社会ごとに自分の立ち振舞いを変えなきゃいけないように感じている.
2009年1月27日
他国から攻め入られて滅びるような言語は,その程度でしかない
数ヶ月前に「日本語が亡びるとき」という本(以下「この本」とする)が話題になっていた.私は立ち読みはしたが,買って読んでいない.だから細かい書評は書かない.ただこのタイトルだけはどうしても気になる.
結論から言えば,日本語はそう簡単には亡びはしない.その意味でこの本のタイトルは間違っている.日本語の話者はどんなに少なく見積っても1億人以上はいる.そもそも日本の人口はもっと多いはずだし,高齢化で減ったとしても数千万は維持されるだろう.世界には話者が数万,あるいは数千人以下しかいないため危機に瀕している言語が無数にある.それらに比べたら,日本語はその話者の大半が日本の領土内に限定されているとはいえ,確固たる社会基盤の上に成立している堂々たる言語である.文法や正書法の透明性の面では英語やフランス語などのより広範に普及している言語に劣るとはいえ,日本語を母語としない人達の間にも日本語教育が広がっている現状を考えれば,亡ぶなどということは考えるべきではないだろう.言い換えれば,仮に他国から攻め入られて滅びるような言語は,その程度でしかない.
本来,この本の話は,完全に無視すべきなのだろうと思う.私自身は,「文学」という表現が好きではない.そもそも文章表現は主観的な感情に基づくものであり,「文芸」なら理解できるが,文学が工学や医学と同様の立場で,学問であるとは思えない.そして,言語が「美しい」必要もないと思っている.言語はそもそもコミュニケーションの道具であり,通じない言語に,いくら美しさを求めても無駄であろうと思う.美しさは主観的なものであり,他人に押しつけられるものではない.今世界が求めるのは「美しい日本語」よりも,母語でない人達も理解できるように体系づけられた「通じる日本語」であるべきだろう.その意味で,この本の主張は理解しがたい.
ただし,tatemura氏によるこの書評が信頼できる解釈を語っているとするならば,私は同じ状況にあって全然別の考え方に至っているということだけは書いておくべきだろう.以下は個人的雑感である.
多くの子供達にとって,親に連れられて他の国や地域に行くことは決して珍しくない.「転校生いじめ」は日本に限らず物語の格好の題材である.私も9才の時に渡米し,10才の時に日本に戻ってきた帰国者である.転校生いじめとは無縁ではない.帰国者の子供達に対し,ちょうど私が帰国したころ,帰国子女,という言い方が流行り始めたが,私にはこの言葉は差別の道具にしか見えない.だから引用以外では使わない.
ただ,日本に戻ってきた時に直感したのは,小学校における中間集団全体主義と強制同期社会主義の蔓延であった.日本の学校は,楽しくなかったのである.その後中学や高校は多少自由な学校に入ったものの,そこでも普通の英語を話せばフルボッコにされるという,およそ理不尽な状況に直面した.今ならインターネットで英語圈の情報は音声も文字もすぐに手に入るが,1970年代後半から1980年代前半にはそんな自由はなく,英語の本を入手することさえ難しかった.
その時幸運だったのは,東京にいたおかげで,アメリカ軍の放送(810kHzのFEN,現在はAFN)だけは毎日ふんだんに聞けたことである.あれがなかったら,今の自分はなかったかもしれない.そしてラジオではアメリカン/ブリティッシュ・ポップスがたくさん放送されていた.今のラジオがJ-POPだらけなのとは大違いである.別にJ-POPが悪いとは言わないが,音楽マーケティングが明らかに偏って内向きになっているのは否定できない.ともあれ,当時は,放送に使われている表現,そして歌の発音,歌詞,すべて徹底的に繰り返し,自分の身に付けるべく努力した.周囲に英語の雑談をする人はいなかったし,1985年に国際パソコン通信を始めるまでこの封鎖状況は続いたが,その時に徹底した訓練を行ったことは今の自分の仕事,そして趣味と人生の上で大きな力になったと思う.
そしてもうひとつ幸運だったとすれば,自分が興味を持った電子工作の世界では,米国の部品が主流だったことである.TIやモトローラ,NSのデータシートは翻訳されず再出版されていたので,格好の英語の勉強道具となった.一部のデータシートは請求すれば無料でもらえた.おかげで absolute maximum rating (絶対最大定格) など,およそ小学生は知らなくて良さそうな表現を多数覚えることができた.その後パソコンの世界では,まさにデータシートもマニュアルも全部英語で書かれていたので,原典にあたる習慣がついた.以後の話は長くなるので省略する.
要するに,自分のもともとの環境に対して異なる環境にさらされた時に,その経験を生かせるような道に進むか,それとも閉じ込もって否定された「それまでの自分」に執着しつづけるか,という違いが,この本の著者と私との間の認識の相違であろうと思う.
もちろん,これだけの文化的な相違を理解する過程では,私の人格はボロボロにされた.だから私は日本人の多くを「日本人なんだから自分の隣人である」とは理解できずにいる.彼等の他人に対する批判を言わない,自分の意思を表現せずあいまいにする行為の大半は,私には単なる嘘にしか見えない.その意味では,帰国者の苦しみをわかるのは,海外で生き抜こうと母語を使わずに闘った在外体験のある人達,親の出身国あるいは地域が自分のそれと異なるため複数の言語で生活をしなければならない人達,そして母語を捨てても社会的地位の向上のために適応しようとする移民の人達,ぐらいしかいないだろうと思う.
しかし,個人的な感情を抜きにしても,言語的鎖国が日本にとって,また他の国々にとって,良いものは一切もたらさないのが現在のインターネット社会での大原則である.あらゆる鎖国的行為は,インターネットによる開国が前提である社会では,いくらタテマエでは規則であっても,ホンネの世界では骨抜きにされるからだ.(2011年1月注: チュニジアやエジプトで起こった政変は,期せずしてタテマエの規則がホンネの力によって崩壊するという現実を見せつけた.)ましてや悪しき鎖国主義が台頭しようとしている現在の日本で,「日本語が亡びるとき」などというタイトルをつけて本を出すことは,ポピュリズムにおもねて売り上げを伸ばそうという行為以外の何物でもないだろう.
前述のtatemura氏による書評は読むに値するだろうし,彼の言う「小説」としてこの本を解釈するならば,それは妥当かもしれないと思う.しかし,仮にそうであったとしても,この本の著者には私は共感することはないだろう.
日本語が滅びるような事態を招かないために必要なのは,決して「日本近代文学」なるものではなく,日本語がより普遍性のある言語としてその文法と正書法を確立すると同時に,その話者の大半を占める日本社会に住む人達が日本語を意味あるものとして証明し続けることであろうと思う.それは現在の「国語教育」の延長線上には決して存在することはない.日本社会の構成員が日本語を「国語」でなく,「日本語」として客観的に見られるような状況,そしてそのような人達をより積極的に迎え入れる開国を徹底して続けること以外に,ないのである.
その開国の結果,日本語が失くなってしまったとしたら,日本語はその程度の言語だったということであろう.そんなことは起こらないだろうと,私は信じている.仮に起こってしまったとしたら,それはそれで受け入れるべきであろうとも思う.その責任は,私を含めて日本語話者全員にある.
(初出: はてなダイヤリーより,一部編集済み)
